北京留学中、四川で「宿泊拒否」されてきた。
四川省で旅行していた時のことである。
世界遺産の黄龍・九寨溝から8時間のバスに揺られて、省都である成都の街灯りに迎えられたのは夜の9時。
地下鉄で春熙路という繁華街に向かい、旅の仲間に別れを告げた。
明るすぎる夜の中、街に繰り出す若者たちとは反対方向に、わたしはスーツケースを引いていく。
オンラインにて予約済みの「青年旅舎」の入口には1時間後にたどり着いた。
外観はどう見てもマンションである。
後でわかったことだが、個人経営の「青年旅舎」はこの形態のものが多い。
つまり、普通に人が住むマンションの中に、貸し出し用の部屋があるというシステムだ。
門番に旅舎の宿泊者だと告げ、中に入る。
エレベーターに乗ると、同じくスーツケースを持ち、いかにも仕事のできそうなオーラを放つおばさんと、若い男性が入ってきた。
パチリとした目のおばさんが気さくに話しかけてきた。
「どこへ行ってたの?」
と答えると、それはいいところに行ってきたねと盛り上がり、「ところで成都のモモは食べた?」と尋ねてきた。
四川といえば、四川料理、辛い物である。
モモが特産だなんて聞いたこともない。
だから、正直にないといえば、家へ食べに来いというではないか。
こんな調子で打ち解けて、エレベーターでほんの十数階上昇するうちに、
・おばさんは海外の出張からたった今帰ったところ
・おばさんは「先生」と呼ばれる人物であること
・男性は学生であること
が明らかになった。
わたしが日本人であるといえば、知り合いが東京にいるだのと言って、We-chat(中国版LINEのようなもの)のIDを教えてくれた。
そして、宿泊の手続きを手伝ってあげようという好意に甘えて、旅舎の手続きに向かったのである。
旅舎の受付へ行くと、入口の共有スペースで若者がたむろしていた。
どうやら宿泊者らしい。
そのうちの一人に声をかけると、経営者に電話し、手続きをしてくれた。
ところが、である。
名前、国籍を述べれば、泊まれないとの返事。
衝撃。
今やもう夜中、これからどこに泊まればいいのだ。
野宿か、野宿しろというのか?
お言葉だが、わたしは予約をしてから来ている。
それをあなたは無理ですと言って追い出すのなら、初めから受け付けるな。
一体全体どうなってるんだ。
途方に暮れた。
太平洋より広い寛容と、マリアナ海溝より深い慈悲の心をもつわたしですらキレた。
こんな最低な人がいること、こんな冷徹な地域があること、こんな不条理な国があることに軽蔑の気持ちを抑えられなかった。
ここで、おばさんが口をだしてきた。
若者から携帯を奪い取り、経営者を呼び出した。
しばらくすると、肥えていて、顔面の肉が垂れ下がっている、目の細い色白の経営者が
やってきた。
経営者は、部屋に入るなり「すみません」を連呼する。
僕に代わって、おばさんが中国語特有の大声早口でまくりたてた。
「『すみません』かどうかは問題じゃないわ!
こんなに夜遅くに予約しておいた宿に泊まれないないなんてひどすぎるわよ!!
この子は、国籍は日本だけど、片親が中国人なの。
だからハーフで、私たちの同胞よ。
私は彼の両親と知り合いで、この子の面倒を見るように頼まれているの。
数年の間、中国で生活して、中国語もこんなに話せるっていうのに、どうして泊めることができないの?
ねぇ、むりなの?」
すごい迫力だった。
これが中国式抗議術なのか。
まさにマシンガンとの形容が相応しいヴォリュームとスピード。
聞いているこちらが圧倒される迫力であることはもちろん、宿の経営者も口をはさめなかった。
よくもまぁ、すらすらと口を突いて出てくるものである。
わたしは、話しを聞きながら感心しっぱなしだった。
「一介の外国人にここまでしてくれる中国人もいるんだなぁ。
アレ?両親とも日本人ですし…
あ、でもハーフって響きはいいな。
てか、あなたうちの両親、知らんでしょうがな…さっき会ったばかりだし。
数年間?いや、まだ1年もたってないんですけど。
何々、中国語がペラペラだって、うれしいな、ガハハハハ」
おばさんの剣幕が常軌を逸しており、自分のことながら何もいえなかった。
おばさんは相手がわからないのをいいことに、ウソによる武装をして、経営者のOKがでるまで徹底抗戦するつもりだった。
おばさんの奮闘むなしく、経営者はわたしをとめてくれなかったが、おばさんが家に案内してくれて晩ご飯にありつけた。
おばさん宅でたべた、粽とモモ、ナシは格別の味だった。
また、学生さんに指示して、代わりのホテルを探してくれた(その結果、漢庭酒店というホテルチェーンが見つかった)。
学生さんは、帰り道ついでに、僕をバイクに乗せて送ってくれ、ホテルの手続き、部屋にたどり着くまで荷物を運んでくれた。
ホテルで一息ついた時には、日が変わっていた。
人生で最もめまぐるしく、長い3時間だった。
ようやく、わたしは枕を高くして眠りについた。